卓球を始めて2年4か月で全国大会に出場した話
皆さん、こんにちは!
都内で自営業をしている者です。
今回は、中学から卓球を始めて、周りの方の支えのお陰で、僅か2年4か月で奇跡的に全国大会に出場することが出来た経験を、何回かに分けてお話させていただきます。
現在は卓球とは全く関係の無い仕事に就いており、選手として大きく大成した訳ではないのですが、
人との関わり方や目標達成のコツなど、自分の人生を大きく変えるきっかけとなったので、
当時自分が感じたことと、振り返って感じる現在の所感を織り交ぜながら、
取り留めもなく書いてみます。
まず、私が進学した中学校は、広島県にある某公立中学校で、
特に受験もせず、小学校からの持ち上がりで進学しました。
関東以外の地方あるあるですが、
私立の学力レベルが、一部を除いて公立よりも相対的に低く、
大学までの一貫校もほぼなかったので、中学の私立受験をする人はほとんどいませんでした。
ここで一つ言っておきたいのは、
中学入学当初は、親の意向もあって、とにかくいい高校・大学に行って、いい会社に就職する、という目標を持っていたので、
特にスポーツに思いっきり打ち込むつもりはなかった、という点です。
勉強が一番で、その他は二の次、親からも何となくその雰囲気が漂っていて、
自分も、そうするべきだと何も疑いはなかったように思います。
勉強以外に何かに全身全霊で打ち込む必要はない…
この考えは、親も含め自分自身でも後に間違っていたなと感じる所です。
そんな訳で、何となくで部活動を選ぶわけですが、僕は卓球部に入部することに決めました。
僕の実家は特に裕福という訳ではありませんでしたが、
中学に上がるまでは比較的何でも習い事はさせてもらったように感じていて、
今思うと当たり前ではなかったなと、両親にとても感謝をしています。
小1からは妹の影響もありピアノを始め、小5からは空手、陸上と、
「やってみたい!」と言ったものは、比較的自由にやらせてくれたように感じます。
結局、上でも書いた「勉強が一番」という考えと、長続きしない性格もあって、
中学に入る時にはほぼ全ての習い事を辞めてしまっていました。
そんな色んな事をやっていた中、何故卓球部に決めたかというと、
①映画「ピンポン」に憧れた
②先輩が全国大会に出場していた
というのが理由です。
①は、当時窪塚洋介さんが主演を務めていた、漫画原作の卓球映画で、
天才風を気取るが打ちのめされて自分の現実を知ったり、どんなに努力してもそのスポーツに愛されていなかったり、人との関りを拒絶して勝負に徹せられなかったり……
という様々な悩みと欠陥を抱えた人が出てきて、
スポーツや部活に関わる人なら、多くの人が共感するスポ根映画です。
僕はこの映画が好きで、何度も見返しており、何となく
主人公と同じプレースタイルで卓球をやってみたい、という思いがありました。
そして②。
その中学の先輩が全国大会に出場していたから。
これは、全国大会に行けたら、何かカッコ良くね?
という、今振り返ると何の根拠もない、本当にしょうもない思いでした。
自分が入部したからといって、同じように全国大会に出場できる保証はない、
何故自分がそんな勘違いをしたのか、未だによく分かりません。
ただ、今思うのは、「我ながら素敵な勘違いをしたな」という事で
いつの時代も、周囲の人々の反対を押し切って成功を収める人は
「深い深い思い込みと、大きな大きな勘違いをする」と言われています。
自分の場合、そこまで大層な話ではありませんが、、、
そんな、当初は軽いノリで卓球部に入部することになりました。
この続きは、次回の投稿で記載します。
それでは!