卓球を始めて2年4か月で全国大会に出場した話④

皆さん、こんにちは!

前回の続きです。

 

スポーツセンターでの運命の出会いをきっかけに、

ついに、地元のスポ少の練習に一度顔を出させてもらうことになりました。

 

9月も終わりに差し掛かった月曜日の夜。

 

通っていた中学の体育館に、卓球用具を持って行きました。

 

スポーツセンターで会った保護者の女性の方と、当時数か月だけコーチをやっていた方に挨拶を済ませ、練習に参加。

 

 

当時、どんな練習をしたか全く覚えていませんが、

当然のごとく、周りとのレベルの差に面食らった記憶があります。

 

レベルが違いすぎて、規定練習のメニューを自分だけこなせない。

 

あげく、自分が下手なせいで練習相手にもならない、ととても恥ずかしく、

情けない気持ちになったことを思い出します。

 

ただ、中学から卓球をはじめ、部活でのほほんと練習をやってきた自分が、

小学校低学年~中学年から卓球をはじめ、大人たちに囲まれ猛練習を積んできた

周りの人たちが強いのは分かり切っていることで、

 

恥ずかしいと思いつつも、吹っ切れて練習に取り組んでいたように感じます。

 

 

初めてスポ少の練習に参加させてもらった際、最後の練習として

「エレベーターゲーム」

に参加しました。

 

「エレベーターゲーム」とは、試合練習の形式の事で、

一列に並べてある卓球台の一番上と下の台を決めて、

それぞれの台で短時間に区切った試合をし、

勝った人は上の台に上がり、負けた人は下の台に下がる。

試合ごとの人の移動を例えた様子から「エレベーターゲーム」と呼ばれています。

 

当然、このエレベーターゲームでも自分はすぐに一番下の台に行き、

上がれたのは、小学3年?の子に対して1度勝った時くらいだと、その時は感じました。

 

 

そんな中、自分より強い人たちの中でも一人だけ、常軌を逸した強さの男の子がいたのを今でも覚えています。

 

彼と試合したときは1点も取らせてもらえず、それは格下相手にも一切手を抜かない

彼の姿勢なのかなと思いましたが、

当時小6とは思えない技術の高さと身体能力の高さもあって、雲の上の存在だと感じました。

 

後に彼は、中学校から愛知の名門校に入り、全日本選手権でも結果を残す大選手となったのですが、当時から異彩を放っていました。

 

 

そんな強さに打ちのめされながらも、自分は気落ちすることなく

次の練習にも参加することにし、最初は週1のペースで練習に

「お邪魔させてもらっている」感覚で行っていました。

 

 

何度も通う内、正式に入部しようと思い、両親に伝えたところ

母親はいい顔をしませんでした。

 

理由は、勉強に集中して、高校も名門校に行ってほしいのに、卓球をガチンコでやる、

しかも平日の夕方だけの部活とは違い、やがて土日も1日中練習するようなスポ少はいかがなものか、と

母親なりに自分の事を考えての反対でした。

 

しかし、自分は勉強もちゃんとやる事を伝え、母親を説得し、

スポ少への入部を許可してもらいました。

 

 

今思うと、人生で初めて親を説得する場面だったのですが、

「少しでも卓球がうまくなりたい」

という思い一つで、母親の心を動かすことが出来たように感じます。

 

 

親の許可ももらい、無事スポ少で本格的に卓球を始めることになる訳ですが、

そんなに甘いものではないと思い知らされます。

 

その内容は、また次回に書きます。

 

それでは!